カサンドラ那美のブログ

アスペルガーと思われる夫と晴れて離婚しました!彼との25年にも及ぶ結婚生活のアレコレを、私なりに検証してみます

愛着障害

~はじめましての方、そしていつも私を応援してくださっている方へ~

初めて私のブログを訪れてくださった方のために、最初に簡単に自己紹介をします。その上で、今私と同じ状況で苦しんでいる方、もしかしたらと思って悩んでいる方たちに、少しでも今後の自分の進むべき道への参考にしていただけたらと思います。

もし、自分には関係ないと思われる方には、読んでも時間の無駄になるからです。

 

2018年2月に自分がカサンドラ情動剥奪障害であると気づいてから10ヶ月後、私たちは離婚しました。

結婚してから25年がたったころです。

子供は女の子が2人、間もなく2人とも家を出ようと言う年齢です。

私はブログを始めてから、たくさんの同じ状況のブロ友さん、実際に会ったカサンドラさんたちの経験を聞いてきました。

その中で、自分なりに思ったこと、わかったこと、気づいたことがあります。

そこで聞いた話から気づいたことや、自分の経験を書いていくことで、発達障害を持つ、もしくは持つであろうパートナーとの関わり方について、少しでも参考になればいいなという気持ちでこのブログを書いています。

 

発達障害、またはそうだと思われる方々を非難したり、否定する意図は全くありません。

また、カサンドラのみなさんの体験を面白半分でここにさらす意図も全くないということははっきり申し上げておきます。

主に自分の経験から来る考えを書いていますが、みなさんの体験から新たに得た気づきも、ここには書いてあります。

 

みなさんの心が少しでも軽くなり、自分の心を取り戻せれば、私がこれを書いている意味がある、励みになります。

ただ、うちの元夫は未診断です。私も専門家ではありません。

それを踏まえた上で、読んでいただければと思います。

 

(よろしければ、私のブログのコメント欄もよくお読みください。私のブログにコメントをくださるブロ友さんたちの、魂の叫びが、壮絶な体験が、何かのヒントになるかもしれません

 

 

私の好きなものシリーズ、今日は「両親」を挙げますラブラブ

 

私は、この間書いたように小さいころ(多分幼稚園ぐらいから)学校が嫌いでした(その時の記事はコチラもやもや

 

 

私の居場所ではないと感じていたからです

 

でも、家に帰ると兄弟がいて、いとこがいて、両親もいる

 

幸か不幸か、うちは当時実家のあった場所で会社を営んでおり、両親の働く姿を毎日

見ていました

 

忙しそうな合間を縫って、母は家事をし、父の兄弟(7人います、みんなが結婚する

まで母が面倒を見ていたそうです)や私たちの世話をしていました。母は、私以上に

「他人のために生きる」人でした

 

ここで少し説明を加えますと、この父の兄弟7人のうち4人はものすごく変わった人、

残りの3人はすごくいい人です。ものすごく変わった中でも、1人だけ女性である父の

姉はピカイチの変わり者ですチュー

おそらくこの人は、アスペルガー(積極奇異型)であると思います

この叔母の話、もし機会があれば記事にしますね。数々の武勇伝があります

信じられないようなガーン

 

そしてこれも、機会があればまた書きますが、うちの母は、この叔母のおかげで

カサンドラであったと思います。今は、叔母とは離れて、父とも仲良くやっているの

で、その状況からは抜けています

 

 

そんな両親に、私は学校であったことや日常の些細な話を毎日聞いてもらい、

学校での不満もここで発散していました。愛されていましたラブラブ

 

 

そんな両親とうちの娘たちと5人で、先日食事に行きましたパスタ

 

その時、珍しく父から父が子供の頃の話を聞きました。叔母がASDだということは、父にも

その血が入っているはず。おそらくですが、私の祖父に当たる方がASDだったのだと思い

ます

早くに戦死されており、私は会ったことがありません

 

その父の子供の頃の話

 

父は、父親が戦争に行っており、母親も忙しくしていたため、だれも構ってくれず、家の

手伝いもしなければならず、心の拠り所がなかった

 

そんな時、父の祖父である人(私からすると曽祖父)だけは、父をかわいがり、いつも

遊び相手になり、話し相手になってくれたと

 

この人がいなければ、自分はどうなっていたかわからないと言いました

 

心の拠り所だったそうです

 

 

おそらくASDの血を受け継いでいる父を、小さいころ愛してくれた人は祖父だった

 

そのおかげで、父はASDの特性を際立たせることなく成長できた

 

 

 

ついこの間、岡田尊司さんの「愛着障害」という本を読みました

 

発達障害だと言われている人のほとんどが、愛着障害を抱えているという内容です

 

もともと遺伝的に脳に何らかの特性のある人でも、その後にきちんとした愛着を形成

できれば、その負の特性を際立たせることなく、正常に成長できる

 

それが両親でなくてもいい

 

自分を愛してくれる人が1人でもいたら、味方になってくれる人が1人でもいれば、ASD

の特性はほとんど現れることなく、通常の生活が営める。誰も傷つけることはない

 

 

父がASDの血を受け継いでいるとすれば、私もいくらかはその遺伝子を受け継いでいる

でしょう

 

でも私には、両親に愛された記憶があります

 

 

元夫は愛着に問題があると、私もうすうす感じていました

義両親は、義父は問題外ですが、義母も過干渉に過保護、決してまともな関わり方を

してきたとは思えません

 

そんな中で、彼はいつも両親の文句ばかり言っていました

 

父親には何も許可してもらえなかった、母親はそれに従うだけで、その上自分に過剰に

干渉してくると

 

 

 

こんなことを考えていた時、先日、高校時代の親友からLINEをもらいました

 

彼女の両親は、彼女が中学生のころ離婚しています

複雑な家族でした

 

私と彼女は、高校時代とても仲が良く、ほぼ毎日電話したり泊まりに行ったり、うちに

来たりしていました

 

家族のような人でした

 

 

私は、彼女の父とその再婚相手が暮らすマンションにもよく遊びに行きました

 

今は彼女もいいお母さんになり、毎日忙しく過ごしています

 

 

その彼女からのLINEに、高校時代、私は那美に救われたんだよ、毎日一緒にいてくれて

両親の不仲や複雑な環境で傷ついた心が随分救われた。本当にありがとねラブラブと書か

れていました

 

家族以上の友達だった

 

那美といる時が一番幸せだった、とおねがい

 

 

びっくりしましたびっくり

 

彼女からこんな話を聞いたのは初めてでした

 

彼女は、見かけはすごく明るくて元気な子でした

 

 

私は、愛着形成に貢献したのかもしれないなと、この時思うと同時に、何も知らなかった

けれど、人の役に立っていたことをうれしく思いましたむらさき音符

 

 

家族でなくてもいい、身内でなくてもいい、誰か1人、たった1人、人には正常な愛着を

形成してくれる人が必ず必要だということ

 

そういう人がいれば、たとえ遺伝的にASDの血を受け継いでいたとしても、その特性は

現れない。現れていても、人を傷つけるようなものではない

 

だからうちの娘たちも、私がきちんと愛着を形成してきたことで、ASDの特性は悪い方へ

出てはいません

 

たまに「あれはてなマークこういうとこ、元夫に似ているな」と思うことがありますが、彼女たちも自分

でそのことには気づいていました

 

この間、3人で話したときに判明しました

 

 

だけど、それを自分たちで気を付けて、変えていこうとしていると言っていました

 

自分の悪い部分は知っていると

 

 

クリスマスの時に書いた記事(コチラ)に、娘のことを書きましたが、きちんと誰かに愛され

た経験のある子どもは、たとえ特性を受け継いでいようとも変えられる、変わる

 

 

今回、父や親友の話を聞いていて、改めてそのことを確信しました

 

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